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船は大航海を終えて母港に戻ってくる。

大海原からほんの米粒のような灯りをたよりに港へ舵を進める。
その米粒は段々大きくなりまばゆいばかりの灯りがやがて船を包み込む。

多くの船たちは帰港すると航海の成功を祝福する暖かい労いの言葉に包まれる。

疲れ果てた男たちはひと時だが足を地につけて女を抱き酒をあおり
辛かった航海を笑い飛ばす。

帆を降ろした船たちは、ボロボロになった帆を修復し詰めるだけの新鮮な水と食料を
積み込み次の航海の準備を始める。

母港で男たちはちょっとした英雄である。
子供たちは船員に憧れ、女たちは出来る限りの優しさで船員たちの労をねぎらう。

たった数日間の休みの間、男たちは全身の精気をみなぎらせ女を抱く。
次に会えるのは半年後だ、子供が成長していくなりを見守ることさえ許されない。
それでも、男たちは女子供のために命を張り大海へ出ていく。




ドックには新しい船が二艘、まさに航海を始る準備をしている。
女子供は別れを惜しみ色とりどりのテープを投げる。

ロープが船に巻き上げられ、出港の合図の汽笛が鳴り響く。

新しい船は力いっぱい面舵をきり沖を目指す。
男たちは精一杯の痩せ我慢で笑顔を見せる。

気を失う女や両手を必死で握りしめて涙をこらえる子供。
彼らには、この数日は半年分を濃縮した時間に違いない。

やがて二艘の船は真っ暗な大海原に吸い込まれて見えなくなった。

一艘のくたびれた船が母港に戻ってきた。

新しい二隻の船とすれ違うように、くたびれた船がドックに戻ってきた。

先ほどまでの別れの余韻など全く無かったかのように、
女子供たちはくたびれた船に見向きもせず家路を目指す。


くたびれた船を出迎えるものはいない。
くたびれた船の男たちは、他の船の男達を以前は妬ましいと思っていた。

ボロボロの帆は最低限航海ができるように他の船のお古の帆に取り替えられた。
水も食料も最低限、くたびれた船の男たちを生きながらえさせる最低限だけ積み込まれた。

くたびれた船の男たちを死なせてしまっては船主は儲からない。
だから、最低限。。。人として最低限生かす必要があった。

くたびれた船の男たちは港で一番安い場末の飲み屋で、航海中と全く変わりのない無表情な
顔で酒を酌み交わす。

女を抱くこともなく、他の船の男達のように子供から英雄視されるわけでもない。

酒を飲むことにも飽きたくたびれた船の男たちは彼らを待っているであろう
場所へ浮かない顔でゆっくりと帰っていく。

扉を開けて玄関を入っても誰からも声を掛けられることもなく
汗臭い船員服を脱ぎ風呂に入る。

風呂から出ると最も狭い部屋で深い眠りに着く。
背中を揺らす波もない、安らかな眠りだ。

男たちが最も安らぐことができるのがこの場所であろう。
しかし、くたびれた船の男たちは苦痛に満ちた数日間を過ごし航海へ再び向かう。


愛するものから愛されない、くたびれた船の男たちはいつからか生きる意味を
見失っていた。。。いや同時に生きる気力も失っていた。

つまり自分の存在理由がなんであるか、自分を大切に思えない人間が
愛するものを大切に思えない。
そのまた逆も真である。

心から愛する者たちを完膚なきまでに壊してしまいたい衝動にかられる。
自分は何がしたいのか、どこへ行くのかそれすら判らない。

鳥たちですら、どこへ向かうか何故羽ばたくのかを知っているというのに。



苦痛な数日間を過ごし、くたびれた船の男たちは船に乗り込んでいく。

見送る者もなく、無表情のくたびれた船の男たちは航海の準備をすすめる。

岸からロープが投げられ、ゆっくりと船に巻き上げられる。

面舵一杯に舵を切ったくたびれた船は、船の中央付近からミシミシっときしんだ
音をたてながら沖を目指す。

全ての薄汚れて黒ずんだ帆を開き、できる限りの風を掴む。

船は大きく左右に揺さぶられるが、倒れるふうではなくいつものように
ゆっくりと波を切る。

頼りない細く繋がった波の先には、くたびれた船がゆっくりと朝日に向かって進んでいる。
くたびれた船は決して輝きを放たず、むしろ朝日を吸収するつや消しの黒だ。



数日間、穏やかな航海が続いた。

晴れ渡った空の前方に真っ黒な雨雲が見えてきた。

その雨雲はどんどん広がって、やがてくたびれた船を包み込んだ。

突然、激しいスコールがくたびれた船の甲板を容赦なく叩きはじめた。
この季節のこの海ではよくある光景で、なれた男たちは帆を降ろす。

くたびれた船の甲板には数カ所の穴が開いている。
ビニールシートで穴を塞ぎ、後からやってくる激しい風に備えてロープを貼り直す。

予想通り、激しい雨風に襲われた。
いつもなら数時間航行すれば、スコールはやり過ごせるが丸一昼夜も
雨風と格闘することとなった。

船の操舵もままならないまま、一昼夜も大海原を彷徨った。

くたびれた船は今どの辺りを航行しているのかさえわからなくなった。

それでも、くたびれた船の男たちは何の焦りや不安もなく
黙々と破損したくたびれた船の修理を続ける。

もはや生きている実感すらなく、くたびれた船を修理する意味すら見つけられない。


星の見える方角と航海図から判断すると800キロ近くも南へ進路が外れている。

誰一人慌てるものもなく、力尽きたくたびれた船の男たちは深い眠りにつく。




くたびれた船の大きな悲鳴のようなきしんだ音が響き渡る。

一斉に、くたびれた船の男たちが目覚める。
デッキに出ると30度くらいであろうか右側にくたびれた船が大きく傾いている。

恐る恐る船首までくると、船首部分が大きい岩の上に横たわっている。

船の中央から後方はほぼ水平を保っているので、前方へ向かって右へ折れ曲がっていることが分かる。

男たちはくたびれた船がこれ以上航海できないことを受け止めた。

不思議な穏やかな時間が流れている。
もう、命を張って航海を続ける理由もない。

くたびれた船で航海を続けなければならない、義務感というか意味もない責任感から開放される。



「島が見えるぞ~」一人の男が船の左側で叫ぶ。

くたびれた船の男たちが一斉に、かろうじて並行を保っている船尾の左側へ移動する。

確かに数キロ先に大きくはないが島というか山というかが見える。

思い入れがある物・救命ボートに載せられる水と食料だけを詰め込み、

男たちは船尾からゆっくりと救命ボートを降ろし船員の数を数える。

全員救命ボートに乗ったことを確認すると、男たちはくたびれた船の方を真っ直ぐに見つめ

目を閉じる、ほんの一瞬の時間だが風がやみ波が静まり時間が止まる。

長い間生死を共にした旧友を失うかのように感じた者や、これで航海という呪縛から解き放たれるなんとも
心もとなく感じた者、無表情だった男たちの頬を熱い涙がつたう。

この先、不安が無いわけではない、しかし長年の絶望の中で生きてきた男たちにとっては
どこでどう生きていようが、もはや何の意味も見いだせない。



ベタ凪の中を救命ボートが進む。

スコールが嘘のように晴れ渡り無風だ。

脂汗が全身を包み込み、薄い水色の船員服がみるみる濃紺に変わる。

反日程漕いだだろうか、黄色い二艘の救命ボートが砂浜に到着した。

沖にはくたびれたつや消しの黒い船が見える。

辺りを見渡しても人の気配は無い。
人が住んでいた痕跡も見つけられなかった。

満潮時のことを考え、とりあえず砂浜の一番奥に仮設用のテントを二張組み立てた。

船員は5名で二張のテントで充分生活をすることができる。

くたびれた船の船首の少し左側に綺麗な夕日が沈んでいく。
それは今までに見たことがないような、ベタ凪の海を真っ赤に染める綺麗な夕日だ。

男たちの肩からゆっくりと重たい荷物が取り除かれていく。
長年背負ってきた荷物だ。



翌朝、最年長の船長が死んでいた。
最もくたびれた船を愛していた男だ。

その死顔は少し微笑んでいるようにも見える。
人生を全うした、いや仕事に全てを捧げて充実感の中で死んでいった、
いやそれも違う。。。最愛の友とここで死ぬことができるといった顔だ。

さすがに船員たちは無表情ではいられない。
父親や兄貴のように慕っていた彼らは丁寧に墓穴を掘った。

最も若い船員がくたびれた船まで操舵輪を取りに行った。

こうして操舵輪を墓石代わりとして船長の墓が出来上がった。

丁寧に船長の遺体を墓穴に入れたが、誰も土をかけることができない。
遺体を取り囲んだ船員たちは、涸れるまで声を殺して泣き続けた。

暫くして一人の男が言った。
「親父をちゃんと埋めてやろう!!」

誰もが頷き、両手で水を汲むように少しずつ土で墓穴を埋めた。



次の日も、また次の日も朝起きると最年長の船員が死んでいた。

残された船員は、なぜ船員たちが死んでいったのかわかっていた。

生きる気力をなくしてしまったのだ。
いや、正確には何年も前から生きる理由を無くしていて
やっと生きなければならない義務感から解き放たれたのだ。

船長と同じように丁寧に墓穴を掘り、同じように両手で水を汲むように
少しずつ土で墓穴を埋めた。

残された船員は非常に冷静だった。
次は自分だという恐怖感もなく、翌朝自分が死んでいたら楽になれるか
とさえ考えていた。


翌朝、一人の船員が死んだ。

一人になった船員は、並んだ墓の横に丁寧に墓穴を掘って船員を埋めた。

船員はやっと次は自分の番だと思った。

水も食料も島に持ち込んだものは、数日で底をつくだろう。
くたびれた船に戻れば数ヶ月分の水と食料があるが生きる気力を
なくした船員には何の意味もない。

きっと明日はやってこない。
船員は残された食料を贅沢に使って酒を飲み夕食を楽しんだ。

港のことも思い出せない、なぜ航海を続けてきたのかも思い出せない。

船員にとっては、もう大切な物など何もない。



翌朝、船員は目を覚ました。

一瞬、生きているのか死んでいるのか分からなかったが、
死ねなかったことに悔しがった。

高熱で意識が朦朧とする。
唇が乾燥し鳥肌がたった全身から脂汗が吹き出ている。

かろうじて動かすことができる目を上下左右に動かし辺りを見回す。

足元に人の気配を感じたが、気を失ってしまった。



どれくらい気を失っていたのか、あの綺麗な夕日がテントの隙間から覗いている。

頭が痛いが、なんとか身体を起こすことができた。

船員は驚いて、後ろにたじろいだ。
原住民なのだろうか、目の前に若い女が正座している。

大切なところは動物の革のようなもので隠している。
黒い肌に長く黒い髪、黒くて大きな瞳。

なんと言っているのかわからないが、大丈夫かと聞いているようだ。
優しい笑顔で、真っ白な歯を覗かせて微笑んでいる。

船員の身体から綺麗に汗が拭われている。

俺のことが怖くないのか?
俺は殺されるのか?

船員は、どのような顔をして良いか分からない。

残りの食材で料理を作ってくれたようだ。
両手の手のひらを自分の方へ差し出して、食べてみろと言っているようだ。

塩しか使っていないポトフのような料理だが空腹の身体に染み渡る。
船員は笑顔で、美味しいありがとうと頭を下げた。

女は満足そうに、もっと食べろと言っている。
食べ続けると、女も納得したように自分も食べ始めた。

その夜、女はテントで眠った。



次の日は激しいスコールだった。
朝から雷が鳴り響き、雨と風が収まる気配がない。

女は雷に酷く怯えている。

目を閉じて眉間に皺を寄せて、ガタガタと震えている。

船員は女のベッドへ行き、優しく抱きしめた。

女は安心したように、少し無理矢理だが微笑んだ。

女が落ち着いてきたので、船員は雨水を溜めることにした。

くたびれた船から持ってきた布製のバケツを、テントの外の四隅に置いた。

バケツの水をろ過器でろ過して珈琲を入れた。

女は不思議な顔をして、紙パックの上の珈琲を指で触って
触った指を舐めている。

珈琲シュガーを加えてカップを女に手渡した。
すすっているが、美味いのか不味いのか分からないようだ。

少し多めに珈琲シュガーを加えて飲めと勧めると、
やっと味が分かったのか頷いて飲み干した。

食い合せは悪いが、スパムとピクルスの缶詰も開けて二人で食べた。
女はピクルスが腐っていると思って吐き出してしまった。

その夜、船員と女は結ばれた。



翌朝、船員はヘリコプターの音で目覚めた。

テントから出ると、救助隊のヘリコプターが着陸する寸前だった。

女は心配そうに船員の背中に隠れるようにして、船員の手を握り締めている。

一人の救助隊員が船員の前まで駆けつけた。

救助隊員に立て続けに質問され船員は、状況を丁寧に説明した。

状況をメモした救助隊員は腕時計に目をやり救出時間をメモに書き足した。

ヘリコプターに乗るよう指示された船員は、首を横に振った。

執拗にヘリコプターに乗るよう救助隊員は呼びかけたが船員は応じなかった。

呼びかけに応じない船員に、何故だっというジェスチャーをしながら
首を大きく横に振って救助隊員はヘリコプターに戻っていった。

ヘリコプターが西の空へ飛び立っていく、くたびれたつや消しの黒い物体の上を。




ザザザッ~船員室の丸い窓の外から潮の音が聞こえる。

重たい身体を起こして窓の外を覗き見る。

眩しい海からの反射で思わず手で目を覆う。

船と並走している大きなクジラが潮を吹きあげている。

船員室から出て甲板に上がると、灼熱の太陽が全身を焦がす。

無表情の船員たちがロープを張り直している。

軽い目眩がして甲板を後にして操舵室へ向かう。

操舵室の扉を開くと、船長が何もない大海原を真っ直ぐに見据えていた。


今日もくたびれた船は頼りない細く繋がった波を引きずれて進む。

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